朝夕日記

現在スイスジュネーブ在住。ものすごくどうでもいい身辺雑記です。

近況など。

2022年は静かに幕をあけ、3月にはコロナ関連の規制も徐々に解除され、今年こそは日常が戻ってくるかと思われたのですが…。2月24日から始まったロシアによるウクライナの侵攻で、結局またも不穏なスタートとなってしまった。なんだかなあ。

そんな中でも日常は続く。春になり、桜はちゃんと咲いて

鳥の雛は孵り、

さらには初夏になり、ワイン作りもスタートしました。

↑の写真は今年のヴォー州のワイン開きに参加した時のもの。リーダー夫妻、K子さんとグラス片手に散歩しながら、Lutryの蔵を回って楽しかったです。スイスのワインはここ20年で随分と洗練された味わいになってきました。白はChasselasだけでなく他の品種も増えたし、赤の種類も豊富になり、試飲してると楽しいです。ただ、蔵めぐりをしてると3件目以降は味が分からない状態になりますね。午前11時ぐらいから午後5時までずっとほろ酔いでした。

2021年10月から2022年にかけてのあれこれ(2)

11月の初めはリフレッシュした気持ちで仕事していましたが、中盤から12月に掛けては仏事などの用事のため、日本へ。11月中に隔離後、諸々の用事を済ませて、姉のいる北海道でのんびりと過ごす。以前から何度も北海道には滞在しましたが、帯広近辺以外あまり行ったことがなく、今回始めて登別温泉や、姪が予約してくれたウポポイに行ったりしてとても楽しく過ごしました。スィーツも食事も美味しかった。

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姉と行った六花亭のお得意様ラウンジ極楽のスィーツ。

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ウポポイの展示。

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登別温泉の湯けむり

日本に行っていた時期は丁度COVID19も一段落した時期だったので、到着後の隔離も10日の自主隔離。東京のホテルでテレワークをしながら、つつがなく終えることができました。隔離後は東京で数年ぶりに友人たちとあったり、親戚にも会ったりと楽しい滞在でした。このまま普通に終わるかと思いきや12月にオミクロン株が登場。帰る頃にはスイスに入国するにもPCR検査が必要となり、いきなりバタバタすることに。

それでも前回より空港は賑わっていたし、スイスに戻ってもロックダウンもなく、陽性者は多いが医療システムは機能しているので、様子を見て問題が無いようだったら段階的に規制は取り払う方向との事。とりあえず3回目のワクチン接種の案内が来ていたので、そちらを12月中に済ませ、年末からお正月にかけては自宅で静かに過ごす。

2021年10月から2022年にかけてのあれこれ(その1)。

個人的に何となくやる気がなく、さらに色々と忙しい事もあってほったらかしにしてしまったこのブログ。それでも覚書としてこの4ヶ月のことを少し書き残して置くことに。

まず去年の10月はコロナが一段落した所で久しぶりに旅行に。週末だけでしたが、K子さんとイタリアのCinque Terreにハイキングに行く。景色も食べ物も素晴らしく、えらく楽しかったのですが、一番旅行気分を味わえたのは借りたアパートの管理をしていた老夫婦のニコニコしながらの、「宿賃を一括現金で払うなら値引きしてあげる。領収書?ふふふ」的なオファーでした。多分客が少ないと支援金とか貰えるんだろうなあ。明るくて逞しくて、ちょっとグレーな所に「ああ、久しぶりのイタリアだ」と何だか感動してしまった。

ちなみに最高だった食べ物の一部が↓。どこのレストランにいってもシーフードが絶品でした。

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エビとズッキーニのパスタ

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フリットミスト(シーフードのミックスフライ)

ワインも美味しかったし、ハイキングは天気が良くて最高だったし、またぜひ行きたい所になりました。

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宿の近くの細い路地。

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ハイキングコースから見た海。

旅行をすると、自分がいかに旅行がしたかったのが実感できて不思議な週末でした。いっぱい歩いて筋肉痛になりながらも充実した4日間を過ごし、また仕事に戻る。気分転換は大事。そして11月からの覚書はまた後ほど。

 

葡萄の美味しい季節。

ここ数日で街はすっかり秋の気配になりました。

今年の夏は猛暑になると言われていたのに、暑かったのは6月の初旬だけであとは結構涼しく過ごしてました。昔ほどではないですが、久しぶりにヨーロッパの夏っぽくて過ごしやすかったです。扇風機もほとんど使わなかったので、ずっとカバーを掛けたまま。そして今年はこのまま仕舞う事になりそう。3ヶ月の間、このブログもすっかりほったらかしになってしまった。これからどうするか考えないと。

とりあえず夏に見かけた職場の紫陽花の写真を載せてみる。今年は随分淡い色でした。

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他にも今年の夏にやったいつもと違う事といえば、友人に頼まれて我が家で猫を数日預かったことか。写真でも分かるように長毛種でブラッシングが大好きな雄猫のネルソンくん。みずから寝返りを打って、ブラッシングして欲しい所を主張する中々のキャラでした。

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おとなしい猫で助かりましたが、慣れない環境のため最初の24時間は色々とやってくれました。オーナーは友人のボーイフレンドであるフランス人。猫可愛がりとはこの事か、と言わんばかりに甘やかしている様子が連れてきたときに見て取れて面白かった。友人の手前、さりげないフリをしようと頑張っているのですが、愛がこぼれ落ちてました。

他にもいつもの友人に猫たちの世話を頼まれたり、よその猫たちが相変わらず家のバルコニーでくつろいでいたりと我が家の猫が亡くなって以来久しぶりに色んな猫に触れ合った夏でした。

前半は雨も多く、あまりすっきりしない夏でしたが、後半になるにつれて青空も増え、ロゼワインが美味しい気候に。ワクチンパスポートも色んな所で導入され、レストランに行くことも増えました。湖畔の散歩もいい感じになり、歩き回るのが楽しいです。

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このまま日常が無事に戻ってくるといいのですが、寒くなってくると心配も増えます。とりあえず今は季節のお酒や果物で楽しく過ごす予定。先週あたりから、近場の葡萄が山積みになって売り出されるように。またみんなで美味しい物を食べる旅行とか行きたいなあ。

時の経つのが早すぎて…。

あっという間に前回の更新から3ヶ月。一体時間はどこに行くのやら。気がついたらもう夏ですよ。景色もすっかり夏の雰囲気になりました。↓はローヌ川の風景。日差しも強く、BBQをする人もいて、マスクをする人以外はいつもの夏でした。

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遡ると復活祭はどこにも行かず、のんびりと自宅で過ごす。そして4月からジュネーブで大規模ワクチン接種がスタート。あっという間にワクチン接種のお知らせが来て、5月末には2回摂取完了。幸い1回目は軽い倦怠感と筋肉痛、2回目は筋肉痛のみと副作用もあまりなく終わることができました。やれやれ。スイスはアストラゼネカのワクチンは承認されておらず、ワクチンはファイザーかモデルナのみ。接種会場によって種類が違い、私はモデルナ社製でした。

今年は5月は寒く、6月に入るといきなり真夏の陽気に。そしてG7の後、ジュネーブの気温が一番熱い週にプーチン大統領とバイデン大統領のサミットがありました。アメリカの大統領が来るときは毎回エグい交通規制があるのですが、今回はプーチン大統領も、なので3日間ほど街の中はデモ以外静まりかえる事に。空港近くは戦車も登場。フランスとの国境も閉鎖されるという珍しい事態。会談自体はあっさりでしたが、映像はなんだか米ソの冷戦時代を思い起こす雰囲気でおかしい。両方ともトップは爺さんだし。そんな中でも白鳥は我関せずに子育て。

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他にもサミットの後はのびのびのなっていたユーロ2020(2021)がスタート。ワクチン接種も進み、色んな規制もゆるんできたので、我が家の周りはすっかり盛り上がってます。特に今回のユーロは、ドイツがハンガリーに負けそうになったり、ポルトガルがベルギーに負けちゃったり、オランダがチェコに負けたりと予想外の展開で面白い。

今夜はフランス対スイス。見ていたら予想に反してスイスがフランス相手に大善戦。めっちゃ頑張ってる。そしていい試合。ご近所の叫び声がすごいです。同点に持ち込んだもののPKになってしまい、スイスは大舞台のPK戦で勝ったことがないので大丈夫か?と思っていたら、最後の最後に止めて勝っちゃったよ。キーパーのSommerはこれでスイスのヒーローに。

今晩は国中がお祭りだろうなあ、と思ったら外ではすでに花火の音が。スイスにとっては大金星だし、皆色々と溜まっているだろうから、今夜は夜明けまで宴会だろうなあ。スイスにとっては久しぶりの明るいニュースでした。

 

2021年も何やら不穏。

1月末に日本からスイスに戻ってあっという間に3月も終わりに近くなってしまいました。時の経つのが早すぎて、どう対処していいのやら。

羽田空港から出発したのですが、国内線ターミナルと比べて、国際線ターミナルのあまりの閑散っぷりにびっくり。店も殆ど閉まっているし、これは営業的に大変だろうなあ。↓はおもわず撮影してしまった、チェックインエリア。まるで廃墟のようでした。

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戻ってみれば、ジュネーブはスーパーと薬局しか開いてないし、職場もほぼテレワークで、静かな日々を過ごすことに。ヨーロッパは去年の春と同じ状態に戻ってました。日本での日々があまりにも濃密だったので、何だか気が抜けてあまりやる気もないまま、毎日を過ごしてます。2月は疲労から回復するだけで終わってしまった。

3月に入り、お店は開店したのですが、まだレストランは全面休業。今週からテラスだけでも営業再開の予定がまた感染者の数が増えてきた、とのことで見送りとなりました。外食はテイクアウトだけなので、街はまだ静かです。これから暖かくなって状況がマシになるのかどうか微妙な所ですね。オランダの業者とやり取りしていたら、また全面ロックダウンになりそうだ、と知らせてきました。イギリスの業者は去年の夏からまったく余分な外出はしてないそうだし、皆さすがに疲れているようです。

3月になり状況がちょっと落ち着いてきたので、定期検診に医者の所にいったら、去年の11月から12月は、まあ大変だったと教えてくれました。とにかく毎日PCR検査をやりまくってほぼ100%陽性だったそうな。今年に入り、ようやくちょっと落ち着いてきたそうです。

そんな状況には関係なく季節はちゃんと春になってきました。日当たりの良い所では桜も咲き始めています。

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花屋にも春の花が出回るようになりました。↓は春になると必ず大量に売り出すチューリップ。色や形も様々で飾るのが楽しい花です。

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さてイースターの頃にはどうなってるやら。また旅行に行きたいけど、どうやら暫くは無理そうです。

3ヶ月の総括?のようなもの。

さて前回更新した時から大分時が過ぎてしまいました。この間にあった色々をまとめたいのですが、何だか整理がついているような、いないような。どうしたもんか。とりあえず時系列にならべると

  • 9月の頭に実家から連絡。母が転んで骨折して入院したとのこと。とりあえず怪我だけなので、本人の意識はハッキリしている。骨折だけかと思われたら、どうやら腹水が溜まっているようなので、検査をすることに。
  • いざとなったら帰るつもりでいたのですが、コロナウィルス感染予防のため、入院中は会うのも難しい状態なので、どうしたもんかと悩む。
  • まず空港とかどうなってるのかテストする意味で前から予約してあったウィーンへの週末旅行に出かける。色んなものが再開し始めてましたが、レストランはほぼテラスでの食事となりました。ちなみに久しぶりのウィーンは食べ物も相変わらず美味しく、非常に楽しかったです。↓はカリカリのウィンナシュニッツェルとビール。f:id:asa_yu:20200910211718j:plain
  • ウィーンに居るときに母の検査結果の連絡。詳しく調べたら、末期の大腸癌が発覚。手の施しようがないとのことで、本人の希望で自宅に戻って在宅療養になることに。
  • 9月29日に退院が決まったのでそれに合わせて帰国。2週間の自主隔離を東京のホテルで過ごしてから10月に実家へ。
  • 実家に帰り、同じく実家に戻っていた姉と母の介護を始める。帰ってすぐの母は会話も出来たし、立ち上がることもできたのですが、病状が急激に悪化。1週間でほぼ寝たきりの状態に。
  • 11月28日の朝、兄妹3人で母のベッドの周りで会話をしている最中にそのまま息を引き取る。
  • コロナ禍での事もあり、家族だけで11月29日には通夜、30日に葬式とあっと言う間の3ヶ月でした。

8月にはまだ元気で話していた母がわずか3ヶ月で亡くなるとは思ってもみなかったので、何だかまだ現実味がありません。そして私が姉と二人で母の側にいる間にヨーロッパでコロナウィルスの感染状況が再び悪化。特にスイスで感染者が増えたので職場も全面テレワークに戻りました。

諸々を考えるとクリスマスシーズンに移動は止めたほうが良いとなり、職場と調整して1月末まで日本からテレワークをすることに。49日まで日本にいられることになったのは良かったのですが、理由が理由なので複雑な心境です。

2ヶ月母の側にいて思ったのは人が死ぬということはそんなに簡単ではないという事。元々丈夫な人だっただけに、寝たきりの状態は辛かったと思います。終わってから思うのは、母の在宅介護に関わったすべての関係者への感謝です。色々言われている介護システムですが、我が家の場合は本当にきちんと対応してもらいました。↓は職場から送られて来た花。こちらも本当にサポートしてもらえてありがたかったです。

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何だか気が抜けたし、実家にそのまま居るのも辛かったので、今は姉の家に仕事しながら滞在してます。こうして振り返ると2020年は世界的にも個人的にもろくでもない一年になりました。ここまで酷いといっそ清々しいほどです。2021年はどうなることか想像もつきませんがそれでも出来ることをやるしかないですね。

来年がすべての人にとってもうちょっと良い年でありますように。